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・人々の幸せ(福祉)はアマルティア・センの提唱した機能(なしえること)と潜在能力(機能ベクトルの集合=何をなしえるか)で測るべきである。 ・効率性と衡平性のような2つ以上の尺度で財や機能の配分を評価するとじゃんけんのような評価の循環が起こることがあるが、ロールズの唱えたマクシミン原理はそれを回避する。 ということを、大学の眠たい講義のような調子で書いてあった。中高生にはキツそうな本。 |
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「時間管理は手帳の使い方よりも、無駄な予定を入れないことにつきますね。」
日本マクドナルド 原田泳幸社長 http://president.jp.reuters.com/article/2011/01/28/972932C6-22A6-11E0-974C-C2FF3E99CD51.php 無駄な合コンとか無駄なデートはやめないと(笑) 人生は限られている。 |
一言で言うと、元日銀エコノミストがマネタリズムを批判することで貨幣数量説に基づいた量的緩和論を否定しようとしてる本。 マネー(貨幣量)というのは概念であり、金融技術革新によって昔に比べその概念と現実の貨幣集計量が合わなくなった。それは間違いないだろう。だから特定の貨幣集計量を一定速度で増加させるという、通常想定されるマネタリズムの金融政策(k%ルール)は確かに有効性を失っている。 だが、だからといって概念としての「マネー」を安定的に成長させることが重要であるというマネタリズムのアイデアが間違っていることにはならないと私は思う。 マネーと物価の関係については M×V=P×T という、有名な貨幣数量方程式が成り立つ。 ここで M:マネー V:1単位のマネーが1年間に何回使われるか P:取引の単価 T:すべての取引 である。 Vというのは理論的にはよくわからないものである。 たとえば金融技術の進歩を思い浮かべてみよう。クレジットカードや電子マネーの出現によって現金がなくても取引ができるようになった。このとき、「Mを現金だと考えたときの」Vは上がる。しかしクレジットカードや電子マネーもMに入ると考えれば、必ずしもVが上がるとは言えない。 あるいは金融危機が起きて資産価格が暴落し、現金への需要が上がった場合を考えよう。このとき「Mを現金だと考えれば」Vは低下する。しかし金融資産をMに含めれば、資産価格の低下はMの減少をもたらすため、必ずしもVが下がったとは言えないのである。 一方、PとTも簡単に捉えられるものではない。なぜなら取引Tというのは資産の取引のようにGDPの増加を伴わないものも含まれ、Pはそのような取引すべての平均単価を表さなければならないのだ。 そこで一般に使用される貨幣数量方程式はTを総生産Yに置き換え、Pを総生産Yに対応する物価として M×V=P×Y と表される。そして、暗黙の前提としてMは特定された貨幣集計量となる。 すると何が問題かと言えば、この本の著者も言うように資産価格バブルが起きればMとPYは増加していなくてもPTとVが膨張してしまう。逆にバブル崩壊後にはVが大幅に低下する。 だから一般物価だけでなく資産価格や信用の伸びなどに目を配った“BIS view”のアプローチは確かに正しいんだけれども・・・ だけどそれって本来の貨幣数量方程式M×V=P×Tから導き出される話だし、やっぱりマネタリズムが間違っているという話にはならないと思う。 問題は結局、中央銀行が操作可能な貨幣集計量を増加させることで「マネー」は増えるかというところにある。 標準的な議論では、「流動性の罠」の状況では貨幣と短期国債のような安全資産は等価となり、長期国債の買い入れも短期国債と長期国債の入れ替え程度の効果しか生まないとされる。 確かにそれはその通りで、ゼロ金利下では短期国債を買い入れて通貨を供給してもほとんど「マネー」は増えず、デフレが深刻化し長期金利も相当に下がった状況では長期国債の買い入れも「マネー」を増やす効果は薄くなるだろう。 だが、それは政府が追加で国債を発行しない場合の話である。政府がもし、中央銀行が買い取った分だけ国債を追加発行したとしよう。そうすれば、政府は債務残高を増加させずに市中の「マネー」を増やすことができる。 結局のところ、カギはマネタイぜーションなのである。そして、財政が安定的に拡大していくと予想されるならば、中央銀行の国債購入=量的緩和のみでマイルドインフレへの移行は可能である。 |
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QE2は手放しで成功だったとは言えない。たしかにデフレ懸念は解消されたが、失業率の改善は不十分であり、住宅価格は二番底をつけた。QE2によってばら撒かれた過剰流動性はコモディティ価格を押し上げ、消費を圧迫している。
そんな議論が最近では多い。成功か失敗かで言ったら、実体経済に効果がなかったから失敗という論調である。 しかし、私はQE2は十分に成功だったと考えている。理由はただ一つ、デフレ懸念を払拭したことにある。 デフレの弊害については別の機会に述べるとして、金融政策はそもそもマネー(貨幣量)の変動が実体経済に影響を及ぼさないよう行われるべきものだ。 実体経済は様々な理由で好況と不況の波を経験する。現在のアメリカであれば、高止まった失業率の原因は間違いなく不動産バブルの崩壊だろう。 これに対して金融政策にできることは何か? 一つの答えは、実質金利を引き下げることにより実体経済を刺激することである。もう一つの答えは、デフレに陥るのを阻止して物価下落による経済の停滞を防ぎ、あとは実体経済の回復は“自然な”景気回復のメカニズムに委ねるというものである。 FEDは後者の選択をしたと私は考えている。なぜなら、QE2によって名目長期金利は大きく上昇し、実質金利は低下しなかったからだ。 アメリカの名目長期金利は2010年10月に2.3%まで低下した後、2011年2月には3.6%をを超えるまで上昇している。一方、期待インフレ率であるブレークイーブンインフレ率(10年)は2010年9月に1.5%で底をつけてから、2011年4月には2.6%まで上昇した。 名目長期金利から期待インフレ率を引いた期待実質長期金利は、 2011/9/1 0.99% 2010/10/1 0.69% 2011/11/1 0.43% とQE2発表後から開始にかけては低下したが、 2011/12/1 0.80% 2011/1/3 1.02% 2011/2/1 1.09% 2011/3/1 0.97% 2011/4/1 0.92% と開始後は一転、大きく上昇した。 そしてFEDが予定通りのQE2の6月終了を確認した4月以降、実質金利は再び低下した。 2011/5/1 0.72% 2011/6/1 0.74% 2011/7/1 0.78% このことから、QE2は当初予想されていたような長期金利の低下を狙った景気刺激策ではなく、純粋にインフレ期待の上昇を狙った政策であり、景気刺激策ではないということになる。 9%を超える高失業率の元でFEDはなぜ景気刺激を狙った政策を打たなかったのか? それはITバブル崩壊後の不況に続きデフレ懸念に悩まされた2003年〜2004年の反省であると私は思う。当時FEDはデフレ懸念に対し短期金利をしばらくの間低位に留めるという「時間軸政策」で対応し、実質金利を低下させた。それにより景気は刺激され、デフレ懸念も払拭されたが、その裏では前回の金融危機の原因となる不動産バブルが進行してしまったのである。 実質金利には潜在成長率から決まる均衡値があり、人為的に長期間そこから低下させると資源配分の歪み、すなわちバブルが発生してしまう。 だからFEDはQE2においてバブルを生むような実質金利の引き下げを狙わなかった。そうではなくインフレ期待に直接働きかけ、物価上昇による単位労働コストの低下のような、インフレによる“自然な”景気回復のみを意図しているようである。 |
原題は"A BRIEF HISTORY OF TIME"。 出版年は1989年であり今では古くなった理論もあると思うが、この本によれば「宇宙は完全に自己完結しており、その外部の何者にも影響されない。宇宙は創造もされず、破壊もされない。宇宙はひたすら存在する」(p.181-182)のである。 重力と量子力学を統合しようとすると、時間は過去と未来の区別を持たず、さらに空間との区別もなくなってしまう。すると、一つの可能性が生まれる。「時間と空間はいっしょになって、大きさは有限だがどんな境界も縁も持たない一つの面を形づくっているかもしれない」(p.182)。 つまり時間には始まりも終わりもなく、空間と同じようにひたすら存在しているのである。 ということは、私たちが経験している時間の流れや事物の変化というのは、その「存在している時間」の模様を過去から未来の方向になぞっているに過ぎないのだろうか。 必ずしもそんなことはないと私は考えている。科学理論は宇宙を説明するが、決定するわけではない。生物は物理法則の制約の中でなら自由に活動できる。たとえば俺が今晩何を食べようと、今すぐ死のうと生きようと、幸せな人生を歩もうと不幸に死んでいこうと、それはなんら物理法則を犯さない。 |


